寄港地「四日市」の
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クルーズ四日市

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四日市へようこそ

西に鈴鹿山脈、東に伊勢湾を望むすばらしい自然に恵まれ、古くから「市」が開かれたまち、「四日市」。歴史や文化、伝統によって育まれてきた四日市の魅力をご紹介します。

四日市市の紹介

三重県北部に位置する四日市市は、天然の良港に恵まれ、江戸時代には東海道五十三次の43番目の宿場町として栄えました。四の付く日に市が開かれていたことが市名の由来になっています。
戦後は四日市港を中心にコンビナートが形成され、近年では多様な企業が集積する三重県下最大の人口を擁するまちへ発展。コンビナート群は、夜になると光の演出によって、昼間とは違う幻想的な表情へと姿を変え、数ある日本の工場地帯の中でも幻想的な工場夜景が広がる聖地と、工場夜景ファンから注目を集めています。
周囲には鈴鹿山脈や伊勢湾といった豊かな自然にも恵まれ、県内屈指の産業都市でありながら、心癒される魅力あるスポットも数多く存在しています。
また、土鍋や急須に代表される「四日市萬古焼」や生産量日本一の「かぶせ茶」の産地として知られています。

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四日市港とは

幕末から明治初期にかけて

伊勢湾内における最大の商業港として、船舶の出入りや旅客の往来、物資の集散が盛んだった四日市港。明治3(1870)年には四日市~東京間の定期航路が開通したことにより、港勢は飛躍的に伸展しました。
しかし、安政元(1854)年に起こった2回の地震や、その後の高潮などで被害を受けていたことから、船の出入りにも不便をきたし、他港へ転泊する船舶が続出しました。

当時、廻船問屋を営んでいた稲葉三右衛門は、港の窮状を見かね、私財をなげうって修築工事に取り組みます。難工事を経て明治17年、現在の旧港を完成させ、近代港湾の基礎が築かれました。
以後船の出入りも増え、同じ伊勢湾内にある名古屋港より8年早く、明治32(1899)年に開港場に指定されました。開港当初の四日市港の貿易は、食料品、肥料の輸入が中心でしたが、その後は綿花の輸入が始まり、繊維原料の輸入港としても活気を呈しました。

戦後

羊毛の輸入が大幅に伸びる一方石油化学コンビナートの立地に伴って原油がこれを追い抜き、四日市港は典型的な工業港へと発展しました。
昭和30年代には日本で最初の大規模な石油化学コンビナートが塩浜地区に誕生したのを端緒としてその後四日市港は3つの石油化学コンビナートを擁することとなりました。

現在

四日市港は原油のほかLNG(液化天然ガス)、石炭の我が国における主要な輸入基地であり、自動車、石油化学製品などの輸出基地としても確固たる地位を築いています。また、コンテナ航路をもつ港としても発展を続けています。
客船は、主に四日市地区(千歳町)を中心に寄港し、全長250mを超える大型客船は霞ヶ浦地区(霞)に寄港します。

四日市港と市街地

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